#367 キューバでの3週間(M.ピエールの手紙)

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#367 キューバでの3週間(M.ピエールの手紙)

ラテン・アメリカン・ダンスのパイオニアと言われるムシュー・ピエール氏1947年の手紙を見つけました。忘れてしまわないうちに記録に残そうと思います。私なりの拙訳と過去の投稿の一部も加えました。

ピエール氏の手紙(PDF)

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※出典: http://www.dancearchives.net/2013/06/25/three-weeks-in-cuba-by-monsieur-pierre-1947/ 筆者 Brigitt Mayers 氏は “Ballroom Icon” の著者。

 

 

手紙の拙訳

キューバでの3週間 Monsieur Pierre

ロンドン、12月19日(金)  ――  翌朝ニューヨーク ――  翌夜ニューヨーク ~マイアミ ―― 火曜、マイアミ―キューバ(80分程度)! これが現代の旅の仕方。そしてクリスマスイブ、すべてのダンスの中で最も現代的な最新作、キューバン・ルンバを探求すべく、私はハバナで踊っていました。

ハバナにはダンススクールはほとんどありません。私はハバナでの滞在中、最高の場所を拠点にしました。そこは、ハバナの大富豪たちが宿泊するHotel Nacional de Cuba のBajo la Luna(月の下)と呼ばれるパティオ(スペイン式中庭)の中にあるシドニー・トロット・ダンス・スタジオです。

毎年、ハバナ市議会は大きなルンバ・コンテストを開催します。何千人もの人々がコンテストを見ます。幸運にも私は1947年のルンバチャンピオンから毎日午後にレッスンを受ける機会を得、毎晩彼のパートナーと練習できました。

キューバのボールルーム・ルンバは“ソン(Son)”として知られています。 Sonは音楽のテンポによってダンゾン(Danzon)とボレロ(Bolero)(遅いテンポ)、そしてワラチャ(Guaracha)(速いテンポ)に分かれています。「ルンバ」の名前はもっぱらこのダンスをショーで踊る場合に使われます。

ハバナには多くのナイトクラブがありますが、最高の踊りはAcademiaで見られます。このアカデミアとは私たちのPalais(パレイ。ダンスホールのこと)に相当します。 アカデミアの数はパレイ程多くなく、通常はパレイよりも小さいです。

キューバに来る訪問者達は概ね、私たちのボールルーム・ルンバを踊っていましたが、キューバの人達はこれをアメリカンシステム(American System)と呼んでいます。彼らは自分達の踊りをシステマ・クバノ(Sistema Cubano/キューバシステム)と呼んでいますが、私が持ち帰ったのがそれです。これは今まで出会った中で最も魅力的なボールルームダンスです!

システマ・クバノのは、勿論、私たちのアメリカンシステムと多くの類似点がありますがリズムは異なります(システマ・クバノは「オフ」ビートで踊ります)。幾つかの動きはややジャイブに似ていますが、ジャイブはキューバのボールルームでは知られていません。ルンバがジャイブの影響を受けていると想像したい人たちには、この点を覚えて置くべきでしょう。

キューバで踊られている唯一のフォックストロットは、私たちのリズムダンスとよく似ています。パソ・ドブレは広範囲に演奏されており、非常にシンプルな形で踊られています。ダンスのプログラムの約80%はキューバ音楽です。

私はキューバとアメリカ合衆国におけるルンバの競技大会の審査方法について、とても興味深く有用な情報を得ることができました。

採点はオリンピック・ポイント制で行われ、リズム、ポジション、正確さ、独創性などに集中して判断されます。それぞれ2から5ポイント与えられており、2は貧弱、3は普通、4は優良、5が最高になっています。

キューバのジャッジは踊りのスタイルと踊り方を最も重要視しています。キューバとアメリカのジャッジの両方とも、見せびらかすことにふけたり、これ見よがしの芸当にふけるカップルにはマークダウンするべきであるとの考えを持っています。これは当然ながら、競技ダンスが単調な方が良いとか、生き生きしていない方が良いという意味ではありません。それどころか、キューバのボールルームのエキスパート達のリズムは素晴らしく、彼らのバリエーションは最高に魅力的で、私は彼らのデモに興奮しました。しかし、彼らは常に完璧に自然であり、そして彼らのバランスとコントロールは素晴らしいものです!

私は「スター・ボールルーム選手権」(*1) のオーガナイザーからルンバ部門のアドバイザーという栄誉を頂きました。

南アメリカのボールルーム・ルンバは盛大な人気があります。なぜなら、それはボールルーム・ダンスに含まれているからです。私はスター・ルンバ競技会の総ての関係者にこの点を明確にすべくあらゆる努力をしました。この原則に従えば、この国におけるルンバは競技会としてだけでなく、スタンダード・ボールルーム・ダンスとしても成功するものと確信しています。

P.ピエール

 

(*1) Star Ballroom Championships:
手元の資料(’Come Dancing’ 1968年発行)によれば、1925年に ’Star’ Open がウィンブルドン・パレで開催され、翌1926年から1968年まで ‘Star’ アマチュアとプロ部門の大会が行われている。

 

 

「#081 ラテン・チャンピオン雑学1 ムッシュー・ピエール」 より抜粋

ラテンのパイオニア Monsieur Pierre

ラテンの競技が始まる前、1920年前半からロンドンの人たちはサンバの前身であるマシーシ(Maxixe)や、パソを踊っていたようです。その頃パリにはキューバやブラジルなどからの移民が大勢集うクラブやダンスホールがあり、そこで繰り広げられる珍しい音楽と踊りにすっかり魅了された一人の若者、ピエールがいました。

彼とパートナーのドリス・ラベル(Doris Lavelle)は英国におけるラテン・アメリカン・ダンス界のパイオニアと言われており、人々は尊敬の念を込めて「ムシュー・ピエール」と呼びました。彼の正式名は Pierre Jean Phillipe Zurcher-Margolle でフランス生まれです。

1947年、2人が初めて訪れたキューバで、ピエールがキューバのラテン・チャンピオンと踊ると、すかさず「音を外している」と指摘されたそうです。セカンド・ビートで始める踊り方は、当時の西洋人には馴染んでいなかったようです。

「アイーダ(Aida)」や「キキ・ウォークス(Kiki Walks)」はキューバで教わった先生たちに敬意を表してフィガー名にしたものです。

英国にラテン・ダンスを普及させたピエールは「エンペラー」、ドリスは「クイーン・オブ・ラテン」として知れ渡っていたようです。

(参考:Ballroom Icons / A CONCISE HISTORY OF LATIN AMERICAN DANCING IN THE UNITED KINGDOM)

 

キューバでの映像

ピエール&ドリスは何度もキューバを訪れたようですが、この映像は二人が1947年に初めてハバナ訪問したときのものです。ペペ&スージー・リビエラ(Pepe & Suzie Riviera)からキューバスタイルのソシアルダンスを習う映像が YouTube にアップされていましたので、ここに記録します。今日のルンバで使われているステップが出て来ますし、踊りがサルサのようにも見えます。

こうした貴重な映像をインターネット見ることができる時代の中にいて、私はとても幸運に思います。そして、貴重な映像をシェアして下さる人がいてとてもあり難いことだと思います。

 

【追記 2019/02/06】

ミス・ラベルがルンバについて語る映像

ドリス・ラベルがルンバについて語る映像を見つけました。上に記述した「キューバでの3週間」や「ラテン・チャンピオン雑学」の内容と重なる部分が沢山あります。彼女の話(英語)を書き起こしました(下)。

S1 4 Lavelle qui explique la rumba extrait

Lavelle who explains Rumba extract

I feel we should call this program the Evolution of the Latin and American Dances and I will begin with the Rumba.

Before the war I and my partner Pierre who are looking for a new dance and we hear that on the continent the Rumba was being played a lot by a lot of famous bands. So we went to Paris and we found out the clubs where the best bands were playing and we went to the one called Kevin Cuban in Montmartre.

There right until the early hours of the morning, Rumba was played and many and may famous band leaders including Don Barreto came to play after midnight after they’d finished at their own clubs.

And we saw very much Rumba dancing. We learnt it. We had lessons from somebody from the club and came back to England and introduced this dance.

We called it Square Rumba. It had a certain amount of success, but, we ourselves were very successful but some of the teachers were a little apprehensive of teaching the new dance but we really persevered and carried on.

During the War many Cubans came with the American army and we’ve had a friend in the Cuban consulate and he always said to them “Do you dance Rumba?”. And if they said “Yes”, he sent us along to us in 96 Regent Street which afterwards always called the “96” by everybody. Because we had so many foreigners come to our studio during the War, when I danced for these Cubans, I found they were using a different rhythm and I thought it uncomfortable how I can always follow but I didn’t feel comfortable.

Also Pierre. He did not feel comfortable. So we decided as soon as it was possible to go to the home of the Rumba, Cuba, which we did after the war as the Bank of England allowed the currency to go which was in the late 40’s and early 50’s we went along to Havana.

There we got to know the only really professional who taught there, Pepe Rivera and he immediately said to Pierre but you’re dancing on the wrong rhythm. So we set about learning it. Every night we went to Cuban clubs until about 4:00 in the morning, watching Rumba, dancing Rumba, having lessons the next day. This we did for a period of about three weeks or a month.

And we came back to England with this Rumba which did not start on the big at that one in the bar. It started on the second beat of the bar.

And the English people just were very difficult to make them see what a wonderful dance this was and we pushed on with it.

We ourselves demonstrated it. We always got very much applause and eventually after a certain number of years of trying and us going back to Cuba every two or three years coming back with marvellous variations having danced to really wonderful orchestras including Sonora Matancera who has Celia Cruz singing and eventually we got the English public and the teachers to start dance sets (it?).

Now we had to name the steps and you will find it later that I call steps Hockey Stick, Natural Top, Spiral. We named all these steps. We gave them names which we thought probably we rather like what we are doing with our feet.

For example, on a Spiral, we rather dance like a spiral staircase, the Hockey Stick is rather the shape of a hockey stick. The Top, we turn to the right or the left on the spot and so on. And these names we named and are now in the syllabus of every society all over the world.

(お断り:書き起こしに誤りがあったときはお許しください。神元 誠)

 

ミス・ラベルがルンバを踊る映像

ムシュー・ピエールとミス・ラベルのショー

ミス・ラベルの話に登場するバンドとシンガー

彼女の話の中に出てくるバンド “Don Barreto”, “Sonora Matancera”, そして歌手 “Celia Cruz” の映像を見つけたので記録に残します。

Don Barreto

Sonora Matancera

歌っているのは Celia Cruz。

Celia Cruz

「サルサの女王」と評されているようです。

 

ハッピー・ダンシング!

 

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