#368 タンゴの歴史

 

#368 タンゴの歴史

コンチネンタルタンゴ、あるいは、インターナショナルタンゴと呼ばれる社交ダンスのタンゴは、ご存知のようにアルゼンチンタンゴに源を発します。ここでは、これまで調べてきたタンゴの歴史の情報の中から幾つかを抜粋してご紹介しましょう。

(原稿は2011年のものです)

 

ヒストリー・オブ・タンゴより

今ではカップルで踊るのが当たり前になっていますが、ダンスの歴史的観点からすると、男女が向き合い、男性が左手で女性の右手を取り右腕の中に女性を抱える ― こうした踊り方をしたのはタンゴが3番目でした。最初はヴィニーズ・ワルツで、1830年代に全ヨーロッパで熱狂的に踊られました。このヴィニーズ・ワルツより前の踊りでは、一様に決められたステップを踏み、手を取り合う以上のフィジカル・コンタクトはありませんでした(ルネッサンス期のボルタのような踊りでは、例外もありましたが)。2番目は1840年代に流行ったポルカでした。そして3番目としてタンゴが登場するわけですが、この踊りはそれまでの踊りとは劇的に違っていました。それは、即興の概念が取り入れられたことです。この概念は20世紀におけるあらゆるカップル・ダンスに莫大な影響を与えました。

アルゼンチンタンゴ発展の正確な記録は残っていません。なぜなら歴史上に全く足跡を残さない貧しく恵まれない人々から発生したからです。それでも、そうした環境の外にいてタンゴを殆ど知らなかった人達が残した僅かな信頼できる情報としては、タンゴという名で書かれた最初の音楽 “トママテチェ(Toma maté, ché)”という曲の楽譜が1857年に出版されたとあります。

「タンゴ」という言葉の起源については様々な意見があります。近年、広く支持されているのは、アフリカ系コミュニティの人達が、彼らのドラムの神様の名前とスペイン語のドラムを示す単語(tambor タンボル)とを混ぜて「タンゴ」という言葉を作り出したという考えです。

(http://www.history-of-tango.com/couple-dancing.html)

 

 

セントラルホームより

スペイン(モロッコの説もあり)で生まれたタンゴはスペイン移住者によって新世界、アルゼンチンに伝えられ、その後、黒人や白人と黒人の混血児たちにより、再びスペインに戻りました。スペインではアンダルシアンタンゴと呼ばれ、1カップルか2カップルでカスタネットを使いながら歩く踊りになりましたが、その浮ついた音楽によって不道徳と考えられていました!

ボールルーム・ダンスとしてのタンゴの始まりはブエノスアイレスの下層階級から起こり、ガウチョは拍車の付いたハイブーツを履き、女性はロングスカートが相場でした。夜になると、ガウチョはクラブに行き、混雑している中で地元の女性と踊りましたが、シャワーを浴びていなかったので、女性は男性の右腕の中で顔を背けて踊ったと思われます。女性は右手をガウチョの左腰に当て、ポケットの辺りをさわりながら踊りの代金を探しました。円卓が置かれたクラブは狭かったので、男性はフロアの中でも、相手に対してもカーブを描くように踊るようなりました。

タンゴは1900年代にヨーロッパ中に広がりました。1910-1911年にかけての冬には、ニューヨークでも一般の人達が踊るようになり、1921年にはルドルフ・バレンチーノの影響で爆発的人気となりました。時間の経過と共に音楽は和らぎ、遂に、アルゼンチンにおいてもタンゴは下品ではないと考えられるようになりました。アルゼンチンタンゴ、フレンチ・タンゴ、ガウチョ・タンゴ、あるいはインターナショナルタンゴと色々ありますが、起源がどこにあるにせよ、タンゴは広く踊られるダンスになりました。タンゴの踊りで重要な事は他のダンスと同じく、最初に音楽にフィットしていること、次にタンゴの基本的な特徴を表現している事。そして最後に、心地よく、楽しい踊りであることです。

(http://www.centralhome.com/)

 

 

ストリートスウィングより

ブエノスアイレスは1536年と1580年の2度によるスペインの遠征によって設立されました。移住の多くはフランス、スペイン、およびイタリアからでした。1816年にワルツがアルゼンチンに入り、続いて、ポルカ、マズルカ、およびショティッシュの踊りが入って来ました。

スペインとキューバのリズムが混ざってキューバでハバネラが誕生しました。それがスペインのアンダルシア地方を経由して19世紀初期にアルゼンチンに伝わり、それにポルカやインドのリズムがミックスして「ミロンガ」という音楽が生まれました。当時ミロンガはテンポが速かったのですが、 テンポが遅くなるにつれダンスのステップが加わってダンスとしてのミロンガとなり、1840年代に大流行したのでした。これがタンゴの祖先になりますが、まだこの時期にはタンゴの名前は出てきていません。ミロンガは組んで踊る踊りではありませんでしたが、一人ひとりで踊っていた人達が変更を加えながら二人で踊るダンスにしていったのでしょう。

ミロンガを踊っていたアフリカ系アルゼンチンの人達はその踊りをタンゴと呼びました。多分に、当時の一般の人達は雑誌や新聞を通してハバネラをタンゴと混同していたと思われます。当時の質の低い報道が、ハバネラもタンゴもごちゃ混ぜにして“タンゴ”と呼んだのだと思われます。しかし、実際のところは誰もタンゴの正確な意味は知りません。ある人達は「閉ざされた場所」とか「特別な目的のためにとってある土地」の意味だと言い、あるいは、ポルトガル語の tangere (タッチする!)だといいます。ドラムが吐き出す音、“タン・ゴ”だという人もいます。

使われた主要な楽器は19世紀の後期にドイツからアルゼンチンに入ったバンドネオンとスペインから来たギター。様々なダンスがブエノスアイレスにはありましたが、1920年代まで残っていたのはアルゼンチンタンゴのバージョンだけでした。

今日のタンゴで使われている大袈裟なヘッド・スナップはアルゼンチンのガウチョが行なった演出のひとつでした。ガウチョも一緒に踊っていた女性も(お互いに少し臭かったので)、二人してちょっと匂いをかいでは素早く顔をそむける仕草をしたのでした。このことは、1857年発行のチャールズ・デュラングの本に書かれています。

(http://www.streetswing.com/)

 

 

■書籍「モダン・ボールルーム・ダンシング」(ビクター・シルベスター著/神元誠・久子訳)より

タンゴはブエノスアイレス近くの貧困層、特に、評判の悪かった街の一角、‘バリオ・デ・ラス・ラナス’から生まれたと言うのが定説になっています。その時は「立ち止まるダンス」の意味の‘バイル・コン・コルテ’として知られていました。女性は長いスカートをまとい、男性はガウチョの姿に拍車をつけたハイトップのブーツを履き、そうした動きにくい格好で踊ろうとした結果、後のタンゴに結びつく幾つかの動きが作り出されました。

街の伊達男達はこの踊りを見、自分たちの行きつけのカフェでそれを踊り始めたのです。そして信じられないほど素晴らしい二つの変更を加えたのでした。ひとつは、より幻想的な効果を求めハバネラの音楽を使い、もうひとつは、その踊りをタンゴと呼び、もはやバイル・コン・コルテ’ではないことを示したのです。

1900年を過ぎてから、アルゼンチンからきたアマチュアの人たちにより、パリでタンゴのショーが散発的に行なわれました。タンゴの大きな可能性を見出したライナル氏は、1907年、ニースにあるインペリアル・カントリー・クラブを訪れ、タンゴに熱狂している人たちを集めていかがわしく見える部分を刈り込み、ボールルームで踊れる形に仕上げたのです。1911年、英国にタンゴが伝わると人々はタンゴ・ティー・パーティーに熱狂したのでした。カップルがレストランで踊り始めたのもこの頃で、レストランはこの新しい出来事を歓迎し、中央にちょっとしたスペースを作り始めたのです。ロンドンでこれを初めて行なったのはサボイ・ホテルでした。

 

 

■年表

調べたことを年表形式にしてみました。

年代   起こったこと
1536年 ●スペイン人探検家ペドロデ・メンドーサ率いる一行により現在のブエノスアイレスの元となる町を建設。(*1)
1800年代 ●スペインとキューバのリズムが混じり、キューバでハバネラの音楽が生まれる。この音楽はスペインを経由してアルゼンチンに入り、「アンダルシア」と呼ばれた。アンダルシアは主に音楽を指すが、踊られるときは女性同士の踊りだった。が、ガウチョが飛び入りしたかも知れない。 (*1)

●アンダルシアと他の音楽が融合してミロンガ(音楽と踊り ―― 通常は一人で踊る)が誕生。ミロンガ・タンゴとも呼ばれ人気を博す。(*1)

●アルゼンチンに連れてこられたアフリカ人によって、二人で踊るミロンガが始まり、タンゴと呼ばれた。(*1)

●アンダルシアと他の音楽が融合してミロンガ(音楽と踊り-通常は一人で踊る)が誕生。ミロンガ・タンゴとも呼ばれ人気を博す。(*1)

●アルゼンチンに連れてこられたアフリカ人によって、二人で踊るミロンガが始まり、タンゴと呼ばれた。(*1)

1907年   ●この頃、アルゼンチンのアマチュアによるタンゴのショーがパリで散発的に行なわれる。 (*2)   

●カミール・デ・ライナル氏がニースでタンゴに熱狂している人たちを集め、ボールルームで踊れる形に仕上げた。同年、彼はタンゴ・トーナメントを開催。これはヨーロッパで知られている最初のダンス競技会となる。(*2)

1910年代  ●ミュージカル「サンシャイン・ガール」ロンドン公演。このミュージカルによりタンゴが初めて英国に披露された。(*2)

●タンゴはパリ、ロンドン、ニューヨークで人気を博す国際現象と化し、タンゴ・ティー・パーティーが盛んに開かれるが、ブームはすぐに去る。(1914年以前のタンゴは今日のインターナショナルタンゴとはまるで違うものです。)(*2)

1920頃    ●パリで、大戦中のダンスに対する規制が解除され、タンゴ人気再来。しかも洗練された形で。(*2)
1921年
●映画「黙示録の四騎士」(ルドルフ・バレンチーノ主演)。この中の酒場でアパッチ・ダンスを踊るシーンがタンゴと誤解された。ルドルフ自身はタンゴを知らなかった。
1922年    ●ダンシング・タイムズ主催の競技会「タンゴ・ボールズ」開催。マージョリー・モスとジョージス・フォンタナによるタンゴのデモンストレーションが行なわれ、この二人が競技会の審査をした。(*2)

●ダンシング・タイムズの呼びかけでタンゴの会議が行なわれ、新しい音楽のみを使うこと、最適テンポは1分間に30小節、また、足の向きはまっすぐにしトウを外へ向けないこと、などが合意。この時期からイギリスにおけるタンゴは安定期に入る。(*2)

1925年  ●カルロス・クルズ氏「モダン・ボールルーム・タンゴ」を出版。(*2)

●世界タンゴ競技会でMr. Scott Atkinson and Dorothy Coleが優勝。

1936年  ●ブラックプールの全英アマチュア選手権でドイツのカップル、F・キャンプ & A.パスカル組みがスタッカートの効いたタンゴを踊り、観衆に衝撃を与える。直ちにこの踊り方をヘンリー・ジェイクス氏が研究。その後の踊り方が塗り替わる。(*3)
 

参考文献

(*1)SONNY WATSON’S SreetSwing com.

(*2)モダン・ボールルーム・ダンシング(ビクター・シルベスター著/神元誠・久子訳 白夜書房)

(*3)THE STORY OF BRITISH POPULAR DANCE ( Lyndon Wainwright / International Dance Publications )

 

 

【関連記事】#300 昭和の本が紹介するタンゴ

 

ハッピー・ダンシング!

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