#405「7.技術の訪れ」

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#405「7.技術の訪れ」

今回は「モダン・ボールルーム・ダンシング」から「7.技術の訪れ」をお届けします。

 

 

7.技術の訪れ
(The Coming of Technique)

 

私達はモダン・ボールルーム・ダンシングの歴史における重大な場面にやってきましたが、ワルツの発展についてやフォックストロットがフォックストロットとクイックステップに別れたことについて語る前に、ひとつ触れておくべきことがあります。それは、フランスのルイ14世がバレエのために王室アカデミーを創立したのと同じくらいの影響をボールルーム・ダンスに与える出来事でした - 1924年12月、英国ダンス教師協会(ISTD)のボールルーム支局が設立されたことです。

 

英国ダンス教師協会は既に数年前からできており、ある種自由なやり方が様々なスタイルのダンスに役立ってきました。しかしながら、1924年に協会を再編し、各支局はそれぞれが専念している特定のダンスを代表することに決めました。

 

この動きの直接的な理由は、リチャードソン氏が幾人かのダンス教師達(全員、英国ダンス教師教会のメンバーでなかった)と新しいボールルーム・ダンス教師協会の設立を企てているとのニュースによるものでした。リチャードソン氏はISTDの秘書のインタビューを受け、今抱えている問題を彼の手から解放してくれるなら、新しい協会の設立はしないと約束しました。

 

結果として、ミス・ジョセフィン・ブラッドリー、ミス・イブ・ティネゲイトスミス、ミス・ムリエル・シモンズ、ミセス・ライル・ハンフリーズ、それに私は直ちに交渉を始め、英国ダンス教師教会、ボールルーム・ダンス支局の最初の委員になり、その年の末までに、協会のダンス・ジャーナルを発行し、その中に、新しい支局への入会希望者用に試験用シラバス*を含めました。

 

要求事項

      1. モダン・ボールルーム・ダンス用音楽に対する基本知識。
      2. 両腕、頭、ボディの使い方。
      3. フォックストロット、ワルツ、ワン・ステップ、及びタンゴにおけるベーシック・ステップの知識。
        受験者はダンス技術を良いスタイルで演技する目的に、自分のパートナーを同伴しても良い。

 

時のダンス・ジャーナルには使用ステップの詳細記述もありました。

 

数年間、実際にはボストンやラグが入って以来ですが、誰の目にもボールルーム・ダンスが大きな変化の中を通ってきたのは明らかでしたが、英国ダンス教師教会のボールルーム委員会を形成した最初の5人はそうした変化の分析や変化が何であったかを見つけだした世界で最初の人々でした。彼らは古いバレエのテクニックは既に終わり、モダンの技術は完全に自然な動きを基礎としている点を指摘しました。そうした彼らの努力と自らの体験から技術を成文化する事ができましたし、ボディ・スウェイ、コントラリー・ボディ・ムーブメント、ライズ&フォールなどの微細な区別についてを統括する規則の発効もできたのでした。委員会に加わった新しい人たちの協力も得て仕事は順調に進み、今日に至るまでにボールルーム・ダンスの技術はバレエ同様、正確なものとなりました。

 

こうした先人達の尽力により、‘英国スタイル’が大きな前進を遂げ、世界中で求められていることは疑う余地ありません。

 

 

英国スタイルは完成された

1922年末にかけ世界の一流のダンス教師達は、おおよそ私達が今日知るような、近代ワルツの確立に成功しました。その頃のダンスは非常にシンプルなもので、ナチュラルとリバース・ターン、それにフォワードとバックワード・チェンジで、ヘジテイションのステップが再び登場するのはそれから2年後でした。ダブル・リバース・スピンもマクスウエル・スチュワート*により披露されました。

 

ちょうどこの頃、1回転できない未熟なダンサー達を助ける意味で、ダイアゴナル・ワルツ*(3/4回転すれば良い)が現れ、それまでパッシング・スリー・ステップ(3歩通過)していたフォワード・チェンジのステップでは‘前進、横、閉じる’に変更されました。数年後、特にダイアゴナル・ワルツでは、リバース・ターンの3歩目で足を前にかける形は廃れ、横に閉じるようになりました。

 

一方、同じ1922年の世界選手権でも、フォックストロットでクロス・ビハインドのステップは使われなくなり、フェザー・ステップになっていました。

 

翌1923年はボールルームにおける記念すべき年となりました。イギリスはポール・ホワイトマン楽団の音楽を初めて聞いたのです。人々からはブルースや速いテンポのフォックストロットに対する要求がかなりあり、遅いテンポと速いテンポのフォックストロットの分かれ目がよりはっきりしてきました。

 

年の瀬に向け、ダンシング・タイムズに執筆していたミス・ブラッドリーは、シャッセを完全に使わなくし、当時使われていたフォックストロットの基本ステップに名前をつけるというコメントをした後、この様に語りました。‘アメリカの楽団でフォックストロットを、1分間に50小節以上の実に速いテンポで演奏しているのがいます。こうした速い音楽にはパッシングするスリー・ステップをやめリズミック・ウォークを使うほうが良いでしょう、即ち、ステップを普段よりやや小さめにし、各ステップで少しボールにライズします。しかし急なライズではなくスムーズに行ないます。’

 

翌年になりこの傾向はより顕著になりました。そしてダンサーズ・サークル・ディナーという集会でプロの教師達により、この速いフォックストロットをクイック・フォックストロットと呼ぶ事と合意されました。この新しい踊りは事実上、それまで不安定な位置にあったワン・ステップに取って代わったのでした。それでもワン・ステップは1924年の第2回と1925年の第3回のロンドンで開かれた世界選手権のスタンダード4種目のダンスに入っていました。しかしその後、イギリスの競技会でワン・ステップを見ることはありませんでした。一方、1925年の世界選手権ではクイック・フォックストロットの特別競技会がおこなわれました。

 

1925年、スター紙は大々的な競技会を組織し、その後7年間続けられ、英国選手権と同等のものとみなされました。同時に、英国スタイルの発展に重要な役割を果たしました。なぜなら、その年流行したまさに最高の動きが、こうした競技会の決勝戦で使われたからです。

 

1925年、タンゴへの興味が再来し、秋に開催されたエンプレス・ルームズ*での大きな競技会では優勝商品として車が渡されました。

 

チャールストンが大流行し始めたのもこの年のことです。先にミッドナイト・フォリーズ楽団がチャールストンの曲を紹介していましたが、実際に流行の先駆けとなったのは、ディーン・ストリートのカーニバル・クラブ*が開いた特別ティー・ダンスで、アメリカからきたアネット・ミルズとボビー・シエレのフレッシュな二人がチャールストンのボールルーム・ダンスとしての可能性を教師達に紹介してからでした。それから2シーズン、チャールストンはあらゆる人を引きつけました。C.B.コクラン*は大規模なチャールストン大会をロイヤル・アルバート・ホール*で行った所、‘P.C.Q.’のスローガンを広める必要性が出てしまいました。‘P.C.Q.’は‘Please Charleston Quietly(どうぞチャールストンをお静かにおどりください)’のことで、余りにも多くの怪我人がでたからでした。チャールストンにはフラット・チャールストンも含み、あらゆる種類がありましたが、少し飽きがきた頃、興味はクイックステップへ移行し、いつのまにかチャールストンは消え去りました。

 

クイック・タイム(速いテンポの)フォックストロットとチャールストン(クイックステップは初めこの様に呼ばれていた)、とフランク・フォード*は言います。

 

「でも、この踊り(チャールストン)が原型のまま続くとは到底思えませんでした。あまりにもみだらで荒っぽく、このまま成功を続けるには飼いならす工夫が不可欠でした。この踊りではフロアを進んで行けませんし、カップルは限られた狭い範囲で踊りながら他のカップルとぶつかり合いました。この時点ではクイック・タイム・フォックストロットとチャールストンの異なる二つの新しい踊りでしたが、あるいい考えが出ました。1927年スター選手権で新しい踊りが披露されたのです。プログラムには‘Q.T.F.T&C’と名前が付けられていました。とりもなおさずQuick(クイック)-(-)Time(タイム) Foxtrot(フォックストロット) and Charleston(チャールストン)の事です。この理想的な組み合わせは、その名から、クイック・タイム・フォックストロットにたくさんの足を跳ね上げるチャールストンの動きをそこかしこに散りばめた生き生きとした踊りが想像できます。1927年と翌年のスター選手権(前年と同じ名前が使われました)では卓越したプロのカップルがかなりスムーズでリズミカルなダンスに進化させ、あの荒々しいチャールストンは影をひそめていました。リズムにあわせ巧妙な膝のアクションが使われました。」

 

フォード氏は1927年のスター選手権の‘Q.T.F.T&C’種目で優勝したことはお伝えしなければいけません。実際の所、彼は総合優勝したのでした。翌年の大会には出ず、初めてクイックステップの名前が使われた1929年に再び優勝しました。両大会とも、彼のパートナーはモリー・スペインでした。

 

1927年夏、ミス・ブラッドリーはダンス協会の技術研修で次のように述べています。

 

‘昨年調子の良かったクイックステップに加え、オープン・シャッセと膝の曲げ伸ばしから作り出されるリズミカルな動きが加わり、今やクイックステップはスムーズに踊れるようになりました。スムーズなクイックステップにおいて、シャッセ・ターンでは足を閉じ、ライズ&フォールは膝の曲げ伸ばしからではなくボールで行ないます。フロアはこの形のクイックステップで覆われ、ある種スロー・フォックストロットを偲ばせながら、チャールストンとの快いコントラストを作り上げています。’

 

1927年、チャールストンの流行が去り、チャールストンがクイックステップと結びついた年、あの奇妙なブラック・ボトムの踊りが入ってきました。ブラック・ボトムは決してボールルームで成功はしませんでしたが、他のダンスにはかなりの影響を与えました。

 

フォックストロットを守る目的で、ダンシング・タイムズの後ろ盾を得てミシェル・ストークスが‘フォックストロットを踊る人たちの友好団体’を立ち上げたのも1927年の事でした。この団体では、曲の速さを1分間に48小節であるべきと指令しました。

 

その年は、ヒービー・ジービーズ*という複雑な音楽が入ってき、また、ブルースの要求がかなり大きくなった年でした。‘エール・ブルース’として知られるこの踊りのルーティンは、イギリスで実に際立った成功を収めたのです。

 

1928年は風変わりな踊りの年でした。どれをとっても成功したものはなく、フォックストロットとクイックステップでは様々なバリエーションが紹介されましたが、どれも一時的に興味を引いたものばかりでした。ダンシング・タイムズはダンス協会と共同で、全英プロフェッショナル選手権を組織しました。この選手権ではマクスウェル・スチュワートがパット・サイクスと踊り優勝しました。この選手権の予選は、ウェスト・エンドの人たちの興味を引こうと、当時人気の高かったダンスホールではなくホテルで開催されました。この目論見は結果的に失敗に終わり、競技会は大赤字になってしまいました。同年、そして翌年には、コロンビア・グラムフォン・カンパニーを代表してサントス・カサニ*が重要なアマチュア競技会をロイヤル・アルバート・ホールで開催したのでした。

 

 

 

*印:「訳者のノート」参照 → #393 「モダン・ボールルーム・ダンシング」から「訳者のノート」

次回は #406「8.1930年代から今日まで」 をお届けします。

 

ハッピー・ダンシング!

 

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