#406「8.1930年代から今日まで」

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#406「8.1930年代から今日まで」

今回は「モダン・ボールルーム・ダンシング」から「8.1930年代から今日まで」をお届けします。

 

 

8.1930年代から今日まで
(The 1930s to the Present Day)

ボールルーム・ダンスの歴史がより新しくなった所では、ワルツ、フォックストロット、クイックステップ、それにタンゴの4種目がスタンダード・ダンスとされていました。もっとも、速いテンポのフォックストロットをクイックステップと呼ぶのはまだ世界的に受け入れられてはいませんでしたが。

 

それは論争の時代でもあり、社会的な面からみるとダンス界は二つに分裂しました。ひとつは、カジュアルでソシアルな場で踊る人たちと、もうひとつは、それより広い場所で踊る競技選手や競技スタイルの人たちに。

 

1920年後半から30年にかけ、アマチュア・ダンサーズ英国協会とオフィシャル・ボードの下、競技会の組織化が行なわれ、1929年にはダンシング・タイムズの呼びかけで価値ある非公式会議が開催され、その結果として、ボールルーム・ダンシング・オフィシャル・ボードが創立されました。現在この組織は、ブリティッシュ・カウンセル・オブ・ボールルーム・ダンシングとして知られています。

 

たくさんの楽団が、とくに粋なホテルでは、フォックストロットを演奏していました。スピードはクイックステップと本当のフォックストロットの間くらいでしたが、季節を重ねるごとに徐々に遅くなっていきました。教師達は中間くらいのスピードでの踊りを確立しようと様々な努力をしましたがどれも実ることはありませんでした。1930年、‘ミッドウェイ・リズム’で知られたルーティンが公式紹介されましたが、一般の人たちには受け入れられませんでした。ホテルやレストランでのダンスと、上手な人たちが広い場所で踊る競技会スタイルのダンスとの差が、どんどん広がる傾向にありました。‘社交’のスタイルはクラッシュ・ダンス*として知られるようになりました。理由は混雑したフロア、狭いスペースで人々がひしめき合うように踊るからです。現在は‘リズム・ダンス’の名が付いています。

 

大きな公共のボールルームが閉鎖されるにつれ、競技スタイルの踊りは特別な催し物としてのみ見られるようになりました。優れたダンサーの踊りには広いスペースが必要で、そうした広さを持たない通常のダンスホールでの踊りは自ずと、ソシアルの形になっていきます。ポップ・ミュージックが1960年代に流行り、ディスコ・スタイルのダンスを生み出しました。一方、ダンスを商業ベースで行なう側は、飲食用に広いスペースを用意する傍ら、ダンスには僅かなスペースしか取りませんでした。しかしそれより遥かに大きな関心がティー・パーティーでのソシアル・ダンスに寄せられていましたし、ディナー・パーティーで踊るシーンも変わらず見る事ができました。ソシアル・ダンスでの踊り方はよりコンパクトになったとは言え、狭いフロアではちょっとした問題が起きました。多分、歴史は繰り返され、私たちはそれを目撃したのかも知れませんが、ジョージ・グロースミスは1912年、リチャードソン氏宛てのレポートの19ページ目に、次のように詳しく述べています。「食事や飲みに出かけた人達は立ち上がり、テーブルの間で踊りだした!」と。

 

1930年代には色々なパーティーダンスや‘ロンピング*’ ダンスが登場しました。1937年には、ルピノ・レーン主演のミュージカル‘ミー・アンド・マイ・ガール*’ではランベス・ウォーク*が踊られ、「誰もがランベス・ウォークをしている」と言われたのは本当のことです。すぐに覚えられる音楽と生意気な感じの新鮮さが時のムードを捕まえたのです。

 

その後には、一緒に楽しく踊るファン・ダンスが続きました。こうした踊りは、大なり小なりの決められたアクションを含んでいます。チェスナット・ツリーもこの頃出てきた踊りです。ブーンプス・ア・デイジー*も、あの不滅のニーズ・アップ・マザー・ブラウン*などの音楽や踊りはまだ数多くのパーティー会場やパブで、人々の酔いがさめやらない夜更けに見聞きする事ができました。

 

ラテン・アメリカンの方はと言うと、あの身も心も軽やかになるサンバが南米から1930年代後半にヨーロッパへやってきましたが、イギリスで関心を得たのは第2次大戦後のことになります。とても魅力的な音楽と弾むようなリズムが人々の人気を支えました。一般の人々の支持を得るには、このように、特有のはっきりとしたリズムでなければなりません。ビギンやマンボ、それにボサノバなどの踊りが人気を得たのはそのためです。勿論、そうした音楽はいまでも世界中で大変流行し続けています。

 

スイング*、ジタバグ*、ブギウギ*などの音楽は大戦前にアメリカからイギリスに入ってきていましたが、新鮮でワクワクするような踊りのスタイルは1940年以降、アメリカやカナダの兵士達がもたらしたものです。しかし、粗野でコントロールの効かない動きのジタバグや駆り立てるようなブギウギの音楽は次第に悪評を得るようになりました。一般のダンス会場で踊るには余りにも危険すぎると考えられ、殆どのダンス会場では全面禁止になりました。しかし、プロの世界はこれを捨て去るわけにはいかないと考え、粗野な部分を丸めボールルーム・ダンスとして受け入れられるような適切な形に、そして教えることのできるフィガーに作り変える仕事に取り掛かったのです。出来上がった洗練された形の踊りはジャイブという新しい名前で瞬く間に広まり、その後のラテン・アメリカンのスタンダード種目に加えられたのでした。

 

一般の人たちは、もっと別のなにか新しいものを捜し続けていたのですが、それが数年後に現れたのでした。あの‘ロック・アラウンド・ザ・クロック’を演奏したビル・ヘイリー楽団です。人々は熱狂しました。この迫力あるロックのビートを聴いた若者達は所構わず飛び跳ね踊りまくったのでした。ダンス・フロアの上だけではありません、映画館の通路でもどこでも、音楽が聞こえる所ならどこででもです。ロックンロールもジャイブとつながっていて同じリズムで踊りますが、ロックンロールの踊りの方がシンプルでそれ程精力を使わなくてすみます。ポップ・ミュージックの時代は、当時の映画やレコードで特集が組まれたロックンロールやロック・グループと共に開けたと言えるでしょう。

 

1950年代に入ると大きなダンス選手権や競技会がイギリス中で行なわれました。1930年代後半に始まったブラックプール全英選手権大会は現在でも精力的に行なわれています。1920年代後半に始まったスター選手権は、残念ながら1950年代初めに終了してしまいました。1953年にはインターナショナル選手権が始まり、これはロンドンのアルバート・ホールで毎年行なわれています。エルサ・ウェルスとボビー・ショートお二人の共催です。ボビー・ショートはダンス・ニュース(週間ダンス新聞)の責任者でした。ダンス・ニュースは1988年に50周年記念を迎えました。ダンス・ニュースの特別プロジェクトとしてのイベントは今も行なわれています。こうした選手権で得た利益は総て慈善事業に寄付され、長い年月の間に数千ポンドが寄付されました。

 

オールド・タイム・ダンスやシーケンス・ダンスなどは、特にイギリス北部での人気が続いていましたが、洒落たダンス会場やモダン・ダンスを提供するダンスホールで踊られることは稀でした。このオールド・タイム・ダンスは殆どイギリスだけのものです。時としてオーストラリアやニュージーランドの限定的な場所で踊られることもありますが、ヨーロッパ大陸やアメリカで、さらに言えば他のどの国でも踊られたのを見聞きしたことがありません。人気あるところでの理由として、どのカップルも同じステップを同じ時に踊るのが気に入られているのでしょう。通常16小節が一組になっています。それに加え、こうした踊りでは、モダン・スタイルの踊りのようにとっさにステップの組み合わせを考えたり、カップルとして優れた踊りをしたりする事は求められません。

 

1950年代が終わると再びダンスの様相に変化が起きてきました。

 

そして1961年にチャビー・チェッカー*の‘レッツ・ツイスト・アゲイン’が出ると、世界はそれに飛びついたのです。35年前のチャールストンの時同様、下品だとかそれ以上だとかの意見が日増しに強まって行きましたが、すぐに覚えられる楽しい踊りなので、老いも若きも夜通しツイストをしました。このツイストには新しい考えがついてきました。つまり、特定のパターンを踊らなくて良いということです。女の子は誰かに誘われるのを待つ必要がなくなり、踊りたい人は誰でも一緒に踊れるのです。始めのうちは明確でシンプルなすぐに分かるフィガーがありましたが、人々の間に浸透する間に様々なバリエーションが開発され、その人にあった個性的な踊りが確立するまでその状態は続きました。ツイストの影響はどんどん広がりました。女の子はドレスのすそに小さなプリーツをつけ、踊ると勢い良くめくれました。ファッションモデルもツイストの形でポーズを取りました。筋肉や腰の痛みを訴える人もいましたが、ツイストの人気は最高でした。

 

1962年、あの熱狂的なツイストに続き、別の、しかも完全に違った形の踊りがどんどん進出してきました。チャ・チャ・チャです。この踊りはマンボから派生しましたが、マンボのリズムは一般人が踊るには難しすぎました。チャ・チャ・チャの方は、洗練された分かりやすいビートなので、すぐにチャ・チャ・チャの音楽と判ります。それがアメリカからやってきたのです。たちまち、どこでもチャ・チャ・チャの曲がかかりました。この踊りは華やかな競技会の踊りにも改造でき、男性は女性を見せびらかせるように踊り、小さなナイトクラブのフロアでは恐ろしく繊細でセクシーな踊りにもなりました。そして遂に、国際的に人気を博している現在の形が完成したのです。ツイストでは魅力的なリズムで人々は自分で動きを創造しましたが、同じ魅力的なリズムからチャ・チャ・チャは生まれたのです。この踊りではフロアの上を回っては行かず、また決まったステップもなく、殆どボディ・ムーブメントと腕で表現を行ないます。

 

ディスコダンスは過去の決められたフィガーで踊るフォーマルなダンスとは反対側にあり、20世紀における究極の自由な踊りです。

 

 

改訂者メモ(注:改訂者はブリティッシュ・ダンス・カウンセル報道代表のブライアン・アレン氏)

今日の踊りは今までにない程広範囲をカバーしており、競技会では高度に訓練された踊りや、体操のような踊りも見られます。これにより、世界各地で‘ダンス・スポーツ’の表現が用いられるようになりました。ボールルーム・ダンスで求められる技術や肉体の使い方が国際オリンピック委員会によりオリンピックのスポーツとして認められたということは大変素晴らしいことです。

ソシアル・ダンスは様々な形で人気が続いています。競技ダンスもソシアル・ダンスも、アルゼンチン・タンゴの影響を受けていますし、ソシアルダンスの方ではスクエア・ルンバに新たな注目が注がれています。ホテルでもレストランでもダンスは再び見られるようになり、小さなフロアでは踊り方に何らかの工夫が必要になります。そうした時、この本でビクター・シルベスターが書き残したアドバイスは大変役に立つ事と思います。

ダンスを習いたいと考えている人の数は、近年非常に多くなっています。イギリスのテレビ番組、「ストリクトリー・カム・ダンシング」では毎週、軽く800万人を越える視聴者がいます。最近のダンスの爆発的人気に加え、ボリウッド*やサルサも盛んです。

 

 

 

*印:「訳者のノート」参照 → #393 「モダン・ボールルーム・ダンシング」から「訳者のノート」

次回は#407「9.ダンスについて(前半)」をお届けします。

 

ハッピー・ダンシング!

 

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